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「涙と祈り」— 私を支えるもう一つの水脈 名倉誠人 「誰もが知っているような名曲の入ったCDを作ってほしい」と言われて久しい。ソロCDはこれまで六枚を数えるが、それらは、私のために書かれた作品のCD四枚と、バッハの作品のCD2枚となっている。 同時に、演奏会のたびに心を動かされるのは、私がアンコールで演奏する「アヴェ・マリア」や「ロンドンデリーの歌」に対する聴衆の皆さんの反応である。それらの曲について声をかけてくれた人々の言葉はとても心に残るものばかりで、その多くが、彼らの人生に深く関わる内容のものでもあった。私も五十歳代半ばを迎え、そうした言葉が、より重い意味を持つと感じるようになってきたことが、このCDをまとめたいと思ったきっかけである。 収録した作品は、すべて私自身の編曲か、私のために書かれた作品となっている。美しい曲をただ羅列するのではなく、私の演奏活動の中で強い意味を持ってきた作品を取り上げた。曲順についても、ゆるやかではあるが、テーマを持ったいくつかのグループにまとまるように考慮した。 「涙と祈り」というCDタイトルは、全作品を通して脈動する感情の流れとして、こう名付けることにした。これらの作品が、私自身にどのような意味を持ってきたか、以下に少しずつ記していきたい。 1988年に英国王立音楽院に留学したのが、私にとって初めて日本を離れる経験だった。全く異なった文化の中で自分を見つけるという、この経験がなければ、今日まで演奏家として活動を続けて来れなかっただろう。英国民謡「グリーン・スリーヴス」はそんな私の、英国へのトリビュートである。対位法好きを自任している私が、3人の奏者(マリンバ2台とヴァイブラフォーン1台)のために編曲、多重録音により、全パートを私が演奏している。 モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と、シューベルトの「アヴェ・マリア」は、リサイタルでのアンコールでしばしば演奏してきた。共に、トレモロ奏法で、四声の和声をいかに立体的に描き出すかということに心をくだいている。シューベルトでは、後半で、ヴァイオリンの旋律の上に、マリンバの高音域で呼び交わすような対旋律を書いた。ブルックナーの「アヴェ・マリア」では、やはり多重録音で三つのパートを私が演奏している。通常のヴァイブラフォーン、世界最大音域(4.3オクターブ)のヴァイブラフォーン、直管式バス・マリンバのトリオである。 学生時代からとてもお世話になった打楽器の大先輩S氏が亡くなって、五年ほどとなる。その年の、冬のある朝、目覚める時に、夢の中で旋律の片鱗を聴いたような気がした。それを書き留めて、マリンバ・ソロとしたのが、私の「エレジー(悲歌)」である。 アメリカ大陸を一人で飛び回って演奏活動を行っている中で、心に沁みる風景と多く出会った。夜に、大平原の上を飛ぶ時、はるか眼下にちらつく光の一つ一つが、とてもいとおしく感じられる。温かい家庭の窓からもれる光なのだろうか。「アメイジング・グレイス」を演奏していると、必ずその光が心に浮かんでくる。黒人霊歌「深い河」を演奏するたびに、容易には語れない人種問題の根深さについて考えさせられる。この曲を演奏すると、州や地域によって、随分と反応が異なる、というのも、外国人の私には驚きであった。「ヴォカリーズ」を書いたフィリップ・ラサーは、名門ジュリアード音楽院でも教鞭を執る作曲家である。忘れ難い旋律と、転調の妙がもたらす美しいムードの変化—、現代アメリカの「歌」として取り上げたいと思った。原曲は室内管弦楽のために1999年に書かれたが、それを作曲家自身がヴァイオリンとピアノの二重奏に編曲、そのヴァイオリン・パートを、私がさらにマリンバ用に編曲した。「ヴォカリーズ」は、その旋律と、対位旋律との交唱によって形作られる音楽だ、とラサー氏は言う。彫像に色々な角度から光を当てることによって、気付かなかった美しさが浮かび上がるように、ピアノの響きの中に現れる対位旋律が、マリンバの旋律に様々な角度から光を照射する。 スクリャービンの「前奏曲と夜想曲」は、右手を痛めた作曲家が、左手だけで演奏できるように書いた、ピアノ独奏曲である。この曲を、世界最大音域のヴァイブラフォーン独奏のために編曲をした。演奏家の生活は、こうした怪我ともうまく付き合って、演奏活動を長く行っていくことが非常に大切だと身に染みて思う。心配や絶望の心境で書いたはずのこの作品は、夜想曲に至って、まるで豊かな夢を描いているように思える。作曲家の祈りが込められているからだろうか。 真島俊夫さんは、私にとって、吹奏楽の大作曲家というより、親しい友人であった。数えきれない素敵な時間をご一緒させていただいた中で、ブラジル・サンパウロで、マリンバ協奏曲「大樹の歌」を世界初演した時のことは深く心に残る。その協奏曲の中で、郷愁を描いた第二楽章が、この「紅」というトリオとなった。二年前に惜しまれて世を去られた真島さんは、この曲を聴くたびに涙を流され、「僕がこの十年で書いた中で、最高の旋律だ。」と言っておられたのが忘れられない。 アイルランドについては、特別な思いがある。30年来の友人、M女史は、英国王立音楽院で、私たち留学生に英語を教える先生であった。彼女はアイルランド出身で、アイルランドの文化についても多くを教えてくれた。その後、演奏活動がうまく行かず気落ちしている時に、いつも励ましてくれたのは彼女である。それらの言葉は、舞台に立つ私の中に、今も響いてくる。人生の大恩人である。「サリー・ガーデンズ」は、つらい思いをしていた私に、彼女が贈ってくれたW.B.イェーツの詩集に入っていた、有名な詩を歌曲にしたものである。もう一つのアイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」を、彼女の少し強面の甥っ子の前で演奏したことがある。すると、頬が紅潮し、とろけるような笑顔となった彼が、固い握手の手を差し伸べてくれた。ある歌は、ある人にとって、とても深い意味を持つものだと知った瞬間であった。 これまでの演奏生活の中で、マリンバのための新しいオリジナル作品を作曲家と共に創造する、ということが、私にとって最も大切な活動だった。そんな中で、今回のCDに収録しても全く違和感が無いと思わせられる作品を書いてくれたのが、ベンジャミンC.S.ボイルである。彼の演奏するピアノと、私のマリンバの二重奏で、「天国の森」の様々な表情を、お伽話風の七つの楽章で描き出していく。彼自身の解説も、私の文章の後に付したい。 小学生の頃、ピアノで「二声のインヴェンション」を弾いて以来、バッハの音楽に対する尊敬は日ごとに増していくばかりだ。和声と対位法が綾となって絶妙に織りなされているコラールを演奏すると、これほど簡潔で美しい音楽があろうか、と思わせられる。「マタイ受難曲」の中で多用されているこのコラール「汝の道を委ねよ」は、四本撥を使ったトレモロ奏法で四声体の音楽を表現でき、マリンバ独奏にもぴったりである。この録音では、直管式バス・マリンバを多重録音で加え、バス声部を補強してある。 こうして書いてみると、私の演奏活動は、なんと多くの人々に支えられてきたことだろうか、と思い知らされる。彼らの友情や愛、そして温かい言葉が無ければ、ここまで続けて来れなかったことだろう。このCDは、私の音楽を共有してくれた、多くの人々へ捧げたい。 2018年6月 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― ベンジャミン・C.S.ボイル作曲:「天国の森」マリンバとピアノのための マリンバは、独奏楽器としての地位を確実に築きつつある。この楽器が現在の形になって間もないにもかかわらず、優れた奏者たちが現れ、この楽器を未踏の地へと連れて行っている。作曲家達も、この新しい響きの可能性が流入したことに気づき、驚くべき数の新作を創り、この楽器の演奏法をより深く追求している。 優れた奏者が増える中で、作品の質から言って、名倉誠人が創ってきたレパートリーを超える奏者はいないだろう。彼からマリンバとピアノのための作品を書いて欲しいと依頼された時に、この楽器の組み合わせはそれまで考えたことがなかったのだが、喜んで受けることとした。 マリンバとピアノは、とても似た響きの空間を持っているため、二つの楽器が同時に響くテクスチャーをうまく使うことと、(言わば、ヴァイオリン・ソナタで聴衆が期待するような形で)マリンバを独奏楽器として表に出すことの、二つの面を交替させながら聴かせる作品を書くことが、挑戦となった。 その結果が、「天国の森」として実った。この作品は、七楽章編成の組曲である。四つの大きな楽章の回りを三つの付随的な楽章「小道」が囲んでいる。この曲が表現する「森」へと聴衆を導く役割が、「小道」の楽章だ。最初の大きな楽章「沼地の上の光の遊び」は、二つの楽器がほぼ単声音楽の響きで抒情性と表現性を求める、静かな瞑想。次の大きな楽章、「魔法の洞窟」は、活気に満ちたフガートを、鋭角的なスケルツオが両脇からはさむ形。「満月の野原、妖精たちとの出会い」は、強弱と表現の可能性をとことん追求した、物語風の楽章。最後の「森の精サテュロスの踊り」は、つかの間で無我夢中なバッカナールを描き、時に遠くに離れ、しかし着実に狂乱の終焉へと盛り上げていく。 (2012年8月) ベンジャミン・C.S.・ボイル
by makotomarimba
| 2019-03-24 00:46
| 名倉誠人のNY便り
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