カテゴリ
以前の記事
2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 07月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 05月 2022年 03月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 03月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2011年 04月 2009年 07月 2008年 07月 2008年 05月 2007年 12月 2007年 09月 2007年 03月 2007年 02月 2006年 05月 2006年 01月 2005年 01月 2004年 09月 2002年 12月 2001年 01月 フォロー中のブログ
最新のコメント
名倉誠人リンク
www.makotonakura.com
https://www.facebook.com/makoto.nakura https://www.youtube.com/channel/UCQKLyBK88taBPtVIWQ45LUw 最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ニューヨークに住むようになってから、日本に帰るのは、演奏会がある時に、その周辺の日にちの範囲だけで帰る、という状況で過ごしてきた。したがって、長い期間を日本で過ごすことが無くなっていたのだが、今回のコロナ禍のおかげで、夏から秋にかけて、久しぶりに二か月半を日本で過ごすことになった。日米間を飛ぶ旅客便がほとんど無くなってしまい、日本への入国も厳しく制限されるようになったからだ。 9月1日には、大阪での演奏会の開催が決まっていたので、何としても、その前に日本に飛ぶ必要があった。しかし、八月に米国本土から関西空港に飛ぶ便は、何とロサンゼルスからの二便だけということで、8月15日の便に乗って到着、空港でコロナの検査を受け、その後は二週間の自宅待機をすることとなった。その間は、公共交通機関も使えず、出かけるのは食物を買いに徒歩で行くのみという日々を送った。 その後は十月末まで演奏会が無かったので、普段なら一旦ニューヨークに戻るところだが、旅行と入国の手間をもう一度繰り返すことを考えると、その間、日本に滞在したほうが良い、ということになった。幸い、その間に東京での小学校公演や、配信の演奏会が入り、教えている大学へもまとめて出講したので、結局は忙しい滞在となった。 そんな日々で、これまでの短い日本滞在中では感じなかったことを、二つ発見した。 一つ目は、日本に居ると、多くのものが身にぴったりと寄り添ってくるような感覚がある、ということだ。「日本とアメリカとでは、どちらが住みやすいですか?」とよく聞かれるが、それは、日本で生まれ育った者にとって、日本の方がずっと便利である。ある病院に行った時に、医師が、完全な文章ではなく、一つの名詞だけを口にした。それは問いかけだったのだが、私は、まず、はっと驚き、そして、こんな話し方でも通じるのか、と妙に納得させられた。同言語と同文化を共通に持つ者たちだけが通じ合えるこのような状況では、多くを説明しなくても済む。 しかし、この居心地の良さも、何だかぴったりしすぎだ、と感じるようになってきたことも事実である。毎日海を見て育ち、港町の文化に慣れ親しんだ私は、未知のものに対する憧れが強いのだ。少々居心地が悪くても、異質なものに対する興味の方が勝るということだろう。 二つ目は、日本語と英語の二つの言語を使うことにおける発見だ。外国語を習得することで、色々な人たちと交流できたり、外国の文化を学んだりすることができる、という素晴らしさは、誰もが知っている。英語を日常的に使うようになってから、ものを考える順番が、日本語とは異なってくる、ということも実感してきた。そのために、あることを話そうとすると、英単語の方が先に出てくる、ということもある。 それに加えて今回の滞在中に発見したのは、あることを考える時に、日本語で考えるのと、英語で考えるのとを、頭の中で同時、または交替で行っているようだ、ということだ。それは、ある物体に光を二方向から当てることで、その物体が平面的ではなく、立体的に浮かび上がる、というのに似ている。考えている内容が、三次元的に彫琢され浮かび上がってくるような感覚を味わうようになった。これも、自分の中に多言語を持つことで得られる、一つの利益なのかもしれない。 今回のコロナ・ウイルスのパンデミックで、予期しなかったことが数多く起こっている。そんな中で誰もが感じているのは、人々が分断されることの痛みだろう。先日、米国大統領の就任式で、22歳の黒人女性詩人が、感動的な詩の朗読を行った。過去四年間で失われていたかに見えていた、この国の素晴らしさが、彼女の言葉の一つ一つに、そして、その言葉の真実に込められていた。詩の持つ力が、人々を分断から救い、団結して前に進むことを教えてくれた。 まだ文化は失われていない。そして、音楽も、我々の日常を超えて、何か形而上的なメッセージを伝えるためにあるのだ、という思いを強くしている。13世紀ペルシャの詩人ルーミーが書いた一節を引用したい。 「音楽は我々の心を開き、天界から洩れ伝わる響きへと、我々を誘惑してならない」
2021年1月
by makotomarimba
| 2021-02-05 06:49
| 名倉誠人のNY便り
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||